人類が空を飛び始めてからおよそ100年、その歴史の中で様々な航空事故が起こってきました。中には目を疑うような原因の事故も数多くあります。
ここでは、「本当にあった恐ろしい航空事故」をテーマにこれまでの事故の中でも特に恐ろしい原因、またはひどい原因で起きた事故を紹介していきます。
今回紹介するのは2011年に起きた「ヤロスラヴリ旅客機墜落事故」です。
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ヤロスラヴリ旅客機墜落事故
概要
日付:2011年9月7日
機種:ヤコヴレフ Yak-42
乗客数;37名
乗員数:8名
死者数:44名
生存者数:1名
2011年9月7日、プロアイスホッケーチームの「ロコモティフ・ヤロスラヴリ」の選手・コーチを乗せたヤクサービス社のYak-42がロシアのトゥノシナ空港の滑走路を走り始めました。
操縦士の機長は機体が充分な速度まで加速した後、操縦桿を引き機首を上げようとしました。しかし、飛行機は飛び立ちません。操縦桿を操作しましたが、飛行機が反応しないのです。機長は全速力を指示しましたが、それでも飛行機は離陸しません。
この空港の滑走路の長さは3,000mで、2,600m地点に達するまでに離陸しないと安全に停止ができません。速度は時速230kmに達しましたが離陸せず滑走路を飛び出してしまいました。
機長たちはなんとかして離陸させようとし、滑走路末端から400メートル地点で機首上げが行われましたが、機体は6メートルほどしか上昇せず、その後墜落しました。(滑走路末端から約1km離れた場所に墜落)
43名が死亡、2名が救出されましたが、事故から5日後の9月12日、救出されたうちの1名が搬送先の病院で死亡しました。事故での生存者は1名(整備士)のみであり、搭乗していたプロアイスホッケーチーム「ロコモティフ・ヤロスラヴリ」の選手・コーチ全員が亡くなりました。
事故原因
・ブレーキペダルの操作ミス
離陸時、飛行機は全力で加速してるにもかかわらず、離陸に必要な加速度を得られていませんでした。継続的に加速すべきところでなぜか減速していたのです。その原因はブレーキをかけながら走っていたことだと調査により判明したのです。
機長と副操縦士は旧型のYak-40型を普段操縦していましたが事故機であるYak-42型を操縦することもありました。ほとんどの航空会社はパイロットが別のタイプの飛行機を同時期に操縦することを禁止しています。似ているようで異なる2種類の飛行機を操縦することで混乱が生じるからです。Yak-40型とYak-42型のブレーキペダルには足の置き方に少し違いありました。Yak-40型は足全体をブレーキペダルにのせて使うのに対し、Yak-42はかかとを床につけて使うのです。操縦士はこの2種類のブレーキペダルを代わる代わる操縦していたためにミスが起きてしまいました。
Yak-40型であればブレーキペダルに足全体をのせていてもブレーキはかかりませんが、Yak-42型では足全体をのせているとブレーキが作動するのです。おそらくYak-40型に乗っている感覚でYak-42型のブレーキペダルを使ってしまったのだと考えられます。しかも副操縦士は神経疾患を患っており、手足の感覚が鈍くなっていました。そのためブレーキが作動していることに気がつかなかった可能性が高いです。
ブレーキが作動したことにより、機首に下向きの力が働きます。飛行機は滑走路に押し付けられる形になっていました。機長たちは安定板をあげるなど機首をあげるための努力をしましたが、それが仇となります。機体が浮いた瞬間、タイヤと滑走路の接地面にかかる力が外れ、それまでに機首を上げようとしていた力が一気に働きました。その結果機首が上がりすぎたのです。機首が上がりすぎると揚力が失われ、スピードも落ちます。それが離陸時に起きれば墜落という結果に行き着きます。
・命令系統の乱れ
滑走路から飛び出してしまった後、機長は離陸を止めようと操縦桿を前に倒しました。機関士はそれにならいエンジンレバーを下げました。これによりエンジン出力が一時的に落ちました。機長、機関士は離陸を中止しようとしましたが、副操縦士はそれに反対し叱責しました。そのため機長は再びエンジンを全開に戻すように命じ離陸を試みましたが失敗に終わります。
安全な操縦のためには機長の命令が絶対でなければなりません。しかし、このコックピット内ではそうではありませんでした。副操縦士はヤクサービス社の副社長であり、肩書では機長の上司だったのです。誰がボスで誰の命令に従うべきなのか一瞬の混乱と迷いが生じ、その一瞬の迷いが命取りとなってしまったのです。